現在、さまざまな対象者に提供されている訪問看護は、いつから開始されたのでしょうか。
訪問看護ステーションでの訪問看護が開始されたのは、1990年代前半であり、開始されてから約30年ほどになります(「訪問看護に関わる制度や法律の確立」参照)。
法律が制定されてからの訪問看護は、病院など他の医療と比べるとまだまだ歴史が浅いです。
しかし、以前から訪問看護に関する法律や制度が制定されるきっかけとなった取り組みがたくさん行われてきました。
このページでは、法律や制度が制定されるきっかけとなった訪問看護の起源やその歴史について説明していきます。
明治時代中頃、訪問看護の起源となった「派出看護婦制度」と「巡回看護婦制度」が制定されました。
当時、病院の数が少なかったので、訪問のニーズがあり制度の制定につながったとされています。
時代の流れによって、派出看護婦制度は少しずつ衰退しましたが、巡回看護婦制度は継続し現在の訪問看護につながっていきます。
1891年、東京の慈善看護婦会によって派出看護婦制度がつくられました。
医師や患者から依頼があるとき、看護婦や助産婦が家庭や病院に訪問し、看護サービスを提供する施設が日本で初めて作られました。
この取り組みは、主要都市を中心に全国へ広がっていきました。
大正時代になると、病院や看護婦養成所が増えました。
また、無資格で看護婦として働くことができなくなりましたが、看護婦試験に受験して免許を取得する者も増えていきました。
病院数が増えたことで、病院で働く看護婦も増えました。
しかし、看護婦の質の低下などもあり、派出看護婦制度は少しずつ衰退していきました。
1892年、京都看病婦学校によって巡回看護婦制度がつくられました。
看護婦と伝道師が、病院から貧困家庭を一緒に訪問しました。
大正時代に起こった関東大震災後には、医師・看護婦・助産婦が、貧困家庭を一緒に訪問しました。
3職種が一緒に訪問することを、巡回看護班活動と呼びます。
この活動は、貧困家庭の訪問から母子保健活動へ変化し、後の保健師活動へつながっていきます。
昭和初期~戦後は、結核やコレラなどの感染症が蔓延したので、それに対応するために家庭訪問を中心とした保健活動が活発になりました。
高度経済成長期では、感染症は減少しましたが、公害や精神疾患・脳卒中などが増え、疾病構造の大きな変化がありました。
1960年代後半になると、高齢者の増加、成人病(生活習慣病)の増加、医療費の増大など、これまでとは違う新たな問題が出てきました。
このように、時代の流れとともに新たな問題や課題が生まれ、訪問看護のニーズが少しずつ強くなっていきました。
1960~80年代では、疾病構造の変化や高齢者の増加など、時代の流れとともに、新しい問題や課題が生まれ、訪問看護の必要性が少しずつ強くなっていきました。
この新しい問題に対応するために、自治体や医療機関・民間企業が、現在の訪問看護の先駆けとなった活動を開始しました。
自治体では、東京白十字病院が東村山市医師会の委託によって、寝たきり老人を対象にした訪問看護を開始しました。
新宿区では訪問看護を開始し、板橋区では訪問看護室を設置しました。
医療機関では、京都堀川病院や日大板橋病院などが無償で訪問看護を開始しました。
民間企業では、在宅看護研究センターなどが訪問看護を開始しました。
ただしこれらの活動は、法律に基づくものではなく「サービスの一部」という位置づけでした。
そのため、報酬は無償で交通費程度の実費であることがほとんどでした。
各地の活動は、1982年の老人保健法の制定につながり、訪問看護の普及の第一歩となっています。
1982年に制定された老人保健法によって、訪問看護は法律に基づくサービスになりました。
現在、訪問看護サービスを受ける対象者は、高齢者だけでなく、精神障がい者、小児、難病患者などと幅広くなっています。
それに合わせて、制度や法律も新設・改正・追加を繰り返しています。
医療の進歩、超高齢社会、平均寿命の延長など、今後ますます訪問看護のニーズが増えていくでしょう。
明治期から昭和初期にかけて、時代の背景とともに変わっていく「死と看取り」について書かれています。
訪問看護の歴史について、もっと詳しく知りたい方におすすめです。